群体知能

一個体のささやかな主張

LGBTたちのせいで足立区は本当に滅ぶのか?

今朝、Twitterのトレンド入りしていたこのニュース。

mainichi.jp

東京都足立区議の白石氏が、自らのLGBTに対する差別的発言の撤回、謝罪を拒否したという報道である。

彼の発言から読み取れるLGBT差別の根拠は要するに、

 

同性婚をはじめとした、性的マイノリティの社会的保障を目的とする制度を認可すると、出生率が落ち、人口減少など、それに付随するさまざまな社会問題が発生する

 

ということではないだろうか。LGBTに対する差別や嫌悪を抱く理由に、「同性同士のカップルでは子どもが生まれない」という意見は耳にすることがある。

確かにそれは事実かもしれない。しかし、「同性同士のカップル」を認めると出生率や人口まで落ち込むのは事実か?一体何を根拠にそんなことを言っているのだろうか。

同性婚の認可で人口は本当に減少するのか。気になったので調べてみた。

 

同性婚を認められた国の特殊出生率と人口推移

 今回明らかにしたいのは、

これらの相関関係だ。同性婚を認めている国の子どもの出生率・人口が、認可した年以降に下がっていれば、同性婚により人口の減少が発生した、といえる。

現在同性婚を認可している国は、オランダ(2001)、ベルギー(2003)、スペイン(2005)、カナダ(2005)など20か国以上にのぼる*1

※()内は法律施行年。

 同性婚を認めた時期が早いのが、前述の4か国である。ということで、これら4か国の合計特殊出生率、及び人口を調べた。

特殊出生率は、以下の定義となる。

合計特殊出生率(total fertility rate):1人の女性がその年次の年齢別出生率で一生の間に産むと仮定したときの平均子ども数で,年齢別出生率(age-specific fertility rate)の合計。

https://www.stat.go.jp/data/sekai/0116.html#c02

 

 厳密には異なるが、「一人の女性が一生の間に生む子どもの数」と考えてもらえばよい。*2

 

仮に同性婚が認められ、子どもを出産しない女性が増加した場合、一生の間に生む子どもの数が0の女性も増加する。すると、一人の女性が一生の間に生む子どもの数も当然少なくなる。

つまり、同性婚が認可された国で合計特殊出生率の低下がみられた場合、『同性同士のカップルを認めると出生率や人口まで落ち込む』という仮説に一定の根拠を与えることになるのだ。

以下が、前述の4か国の合計特殊出生率である。

年次 オランダ ベルギー スペイン カナダ
1990 1.62 1.62 1.33 1.83
1995 1.53 1.56 1.17 1.64
2000 1.72 1.66 1.23 1.49
2005 1.71 1.76 1.35 1.54
2006 1.72 1.8 1.37 1.59
2007 1.72 1.81 1.4 1.66
2008 1.78 1.86 1.46 1.68
2009 1.79 1.84 1.38 1.67
2010 1.8 1.85 1.37 1.63
2011 1.76 1.81 1.34 1.61
2012 1.72 1.79 1.32 1.61
2013 1.68 1.75 1.27 1.59
2014 1.71 1.74 1.32 1.58
2015 1.66 1.7 1.33 1.56
2016 1.66 1.68 1.33 1.54
2017       1.49



*3

それぞれの国で同性婚が認可された年以降、急激に数値が低下したような国はない。認可以降の約10年、合計特殊出生率は伸びている。同性婚の認可が、出生率の変化に影響を及ぼしているとは言い切れない。

次に人口の推移だ。

2000年 2010年 2017年
オランダ 15926 16615 17099.8
ベルギー 10251 10896 11382.39
スペイン 40264 46562 46549.04
カナダ 30689 34005 36708.08

※人口(1,000人)

*4
人口に至っては、右肩上がりで伸びている。

これらの数値を見て、同性婚の認可を、出生率や人口の落ち込みと直結させて語るには、根拠に欠けると思われる。

まとめ

実際にデータを見ると、「性的マイノリティの社会的保障=出生率低下、人口減少」とは言い難い。ちなみに、これらの情報はインターネットで少し調べれば、そこまで時間を要さずにわかることだ。

政治に携わる立場の者が、誤った知識や認識をもとに活動してはいけない。彼らは国民の生活のルールを定める存在だ。適当な仕事をされては、私たち国民の健全な社会生活に支障を来す。まして、批判の声に対し、自らの不勉強を棚に上げ、開き直り論点のずれた反論で片付けようとするなど、言語道断の態度である。