群体知能

一個体のささやかな主張

「あなた」も「わたし」も藤井風 ― damn

 リリースからおよそ2か月が経とうとしている藤井風の「damn」。曲はとてもかっこいい。が、歌詞が一度聞いただけで理解できるほど素直なつくりではない。恋愛を歌った?と、歌詞をなんとなく眺めた時は思ったが、それはおそらくミスリードによるもので、後半の英語歌詞を見ると歌詞中に登場する「あなた」は「him = 彼」であることから恋愛がテーマではないと思われる。

 じゃあ何について歌詞が書かれたのか?もちろん個人的な解釈だが、ある仮設によってわりと筋の通った解釈が成せると思い、残しておく。

歌詞およびMV解釈

 まず注目したいのは「damn」のMV。藤井風はミュージシャンに扮しており、どこかの酒の席で歌声を披露している。が、客は歌唱に対してどこか冷めた態度である。客の表情にひよった藤井風は、平気なふりしてステージから捌けていくが、裏の楽屋では青ざめた表情をしている。洗面所で顔を洗い、鏡を見て不敵な表情をつくる藤井風。ここまでが歌詞の一番が終わって間奏を含めたくらいだ。

 つづいて一番の歌詞を見て行こう。

 

 まさかこんなに媚びてまうとは

 まさかこんなに惚れてまうとは

 そいでこんなに拗らせるとはな

 

 これは「誰か」が「誰か」に対して媚びたり惚れたりしているのだが、MVに登場する藤井風が「演じているミュージシャン」の色恋のことではなく、それを演じている「藤井風自身」と「誰か」の関係性についてだと思われる。おそらく、「藤井風」と「藤井風のファン」の関係性ではないだろうか。

 藤井風がファンに媚びる……とは聞こえが悪いが、ファンが藤井風に惚れてまってるのは間違いない。「拗らせる」は藤井風とファンとの関係が「拗れた」という意味だと思うが、おそらく藤井風が思い描いていた「ファンとの関係性」とは異なる現状を「拗れた」と表現しているのではないか。

 

 別にどうにでもなりゃいいのに

 別におれにはカンケーないのに

 まさかこんなに捉われるとはな

 

 「ファンとの拗れた関係性」とは何か?それは藤井風についたファンが「楽曲に対するファン」なのではなく「新進気鋭で才覚溢れる上に顔もスタイルもいい藤井風というすごいアーティストのファン」という事実から生じる、音楽を届けたい自分と「アーティスト・藤井風」を期待しているファンとのギャップだと思われる。

 ファンが夢想する自身の「天才イケメンアーティスト像」は、藤井風にとってどうにでもなりゃいいし彼にはカンケーないことだし、しかし、そのイメージに彼はこんなに捉われているらしい。

 

 だんだん遠くなったあなたへ

 (全部全部おれのせい)

 だんだん離れてったあなたへ

 (責めてみても仕方ねえ)

 だんだんバカになったこのおれ

 どうすりゃいい

 どうすればいい

 あぁ幸せってどんなだったけな

 ……覚えてないや

 

 「だんだん遠くなったあなたへ」「だんだん離れてったあなたへ」と、ここでいう「あなた」は一見恋愛の相手のように受け取れるが、後述の「あなた=him(彼)」という歌詞から、恋愛の相手と解釈するのは不適当。(いやいや、その考え方は前時代的ではないか、という声もあるだろうが、ここでは「あなた」をミスリードと考えるので論点がずれてしまう)

 藤井風から遠ざかっていった人物は藤井風自身、つまり彼に対してファンが抱いているイメージ「天才イケメンすごアーティスト」だ。才能あふれる若者とはいえ、彼も普通の二十代である。

 

 (全部全部おれのせい)(責めてみても仕方ねえ)は、そういったイメージを作り上げたのは自分自身であるという懺悔に近い。(責めてみても仕方ねえ)の「誰を」責めるのか、それは「ファン」ではないだろうか。

 藤井風の「天才」像や、天才由来の「天真爛漫さ」を演出したのは彼自身や彼をプロデュースしている人たちであり、ファンはその「天才」像に無邪気に心酔しているだけである。彼の届けたい「楽曲」や「メッセージ」が、そういったフィルターを通して誤解されたまま受け取られるのは鬱陶しいことだ。「そんなもん(イメージ)はどうにでもなれ、おれにはカンケ―ねえ」と言いたくなるが、ファンを責めても仕方ない。(全部全部おれのぜい)なのだ。

 加えて、この二つの歌詞は括弧で閉じられている。その上、MVを見るとその歌詞の部分で、ステージ上にいる藤井風は歌うのをやめている。「だんだん遠くなった(離れてった)あなたへ」との意味のつながりはおかしくないので普通に歌っても問題はない。……のにわざわざ歌詞やMVで演出がなされているということは、含みがあることを示唆しているとみて間違いないだろう。

 

 「だんだんバカになったこのおれ どうすりゃいい どうすればいい」

 「バカになった」はいろいろな解釈ができると思われる。例えば、今まで記した通りファンに担ぎ上げられて「バカになった=自分はすごい存在なんだと勘違いするようになった」と受け取ることもできる。しかし、それだとこのエントリーで行ってきた歌詞解釈とはズレがある。

 なので、今回は「ファンがイメージする藤井風は気取ってなくて、天真爛漫で、博愛主義で……LOVEとかPEACEとかばかり言うおめでたい奴になってしまった」という解釈をした。だいぶひねくれた解釈だが、筆者はこの曲がそもそもひねくれている(いたずらに複雑な構造)だと感じたので、よしとする。

 そうやって膨れ上がっていく本人とはかけ離れたイメージに対して「どうすりゃいい どうすればいい」とお手上げ状態である。「幸せってどんなだったけな」は、藤井風が考える「幸せ」の解釈がファンが広範にわたり解釈するので、藤井風の中での定義のぐらつきが感じられる……というのはかなり攻めた解釈かもしれない。単純に、彼の今の状況が音楽家として「幸せ」と呼べるものかわからない(名前や曲は売れ、世間に藤井風は知れ渡ったが、意図していない享受のされ方をしている)、という意味かもしれない。

 

 どけ、そこどけおれが通る

 やめ、それやめ虫唾走る

 だめ、もうだめぜんぶ終る

 

・「どけ」とは、藤井風に抱かれている「イメージ」に対して、邪魔だ、おれ(=イメージやバイアスを取り払った本来の藤井風)が通る

・「やめ」とは、歪んだ解釈をするファンに対して

・「だめ、もうだめぜんぶ終る」前の二つの歌詞を含め、かなり強いメッセージが込められている。もうすべてひっくり返してしまいたい、というような藤井風の思いが表れていると感じた。

 

 分かりきったことやん、今さら

 完ペキとか無理やん、ハナから

 ……別に何も期待してないけどな

 

 これらの歌詞が内包するフラストレーションの矛先はすこしわかりづらい。先ほどまでのファンに対する不満とは若干異なる毛色の含みが感じられる。MV上で、ステージを降りライブ会場の客席でめちゃくちゃな粗相をして会場を飛び出していく様子を見ると、これはミュージシャンの雇い主に対する不満のように思える。つまり、藤井風のプロデューサーとか、マネージャーとか(音楽的なプロデューサーではない)である。

 「世間から投げかけられる目線に対し、理想的なアーティスト像を演じ続けるのは無理」ということだ。

 

 だんだん好きになったあなたへ

 (ヘンな気持ち誰のせい)

 だんだん赤くなった青さへ

 (責めてみても仕方ねえ)

 だんだんアホになったこのおれ

 どうすりゃいい

 どうすればいい

 あぁ幸せって何色だったけな

 ……覚えてないや

 

 「だんだん好きになったあなたへ(ヘンな気持ちだれのせい)」は、「あなた」は藤井風ではなくファンと思われる。藤井風を応援してくれているファンは、藤井風にとって理想的な応援のされ方とはズレている(楽曲よりも藤井風という青年のファン)が、ファンをそういう気持ちにさせている自分の男性としての魅力には自覚的だ、ということではないだろうか。(「あなた」の解釈が曲中で別の人物に変わる一貫性のなさは筆者も承知している)

 「だんだん赤くなった青さへ」は、解釈を思いつかない。申し訳ない。なので、話題をMVに移そう。二番のサビが終わると、交通道路で踊っていた場面から藤井風の回想シーンに移る。おそらく、回想シーンへ移る時に赤く暗転していることから、車に轢かれたのだろう。

 

 全て流すつもりだったのにどうした?

 何もかも捨ててくと決めてどうした?

 明日なんか来ると思わずにどうした?

 

 ここで藤井風の過去の楽曲の歌詞とMVのワンシーンが映される。これは「う〇ち」の比喩でもあり、彼の過去の行いの振り返りでもある。

 「全て流すつもりだった」は、藤井風に対する否定的な言葉を受け流す、という意味だと思われる。「何もかも捨ててく」は、藤井風というアーティストとして世に出る以上、彼が今まで生きてきた人生とは異なる人物として歩んでいかなければならないのに、「本来の自分と今の藤井風とのイメージのギャップ」で苦しんでいる場合か?という自問自答のように聞こえる。「明日なんか来ると思わずにどうした?」は、うじうじ悩んでいる自分に対する叱咤激励だろう。これらのフレーズは、元の曲で使われていた文脈から離れ、再構成されている。

 

 全部まだまだこれからだから

 いつかあんたに辿り着くから

 

 これは今まで解釈を踏まえると、ファンの期待する藤井風に答えてみせるという意思表明だろう。MVでも、生死の境をさまよったところから復活するようすが描かれている。

 

藤井風くんの「damn」の英語詞を解説してもらいました - なつめ食堂

 

 以降の英語歌詞は、こちらの方の解釈にくわしく掲載されている。個人的には、もう少し自暴自棄な意味合いが含まれているのではないか、と思う。「もうこうなったらやるしかねえや、踊れ踊れ」というような。もし、単純にリスナーへポジティブなメッセージを送るなら、「燃えよ」のように、藤井風はもっと直接的に表現するはずだ。

 

 愛していくこの先ずっと

 守ってく明日もずっと

    i love me, and i will keep him in a safest fairest happiest place baby

 

 「愛していく」「守ってく」はファンに対する愛情表現であると同時に、藤井風が彼本来の姿を大切にしてくという、自身の悩みに対する回答でもあると考えられる。アーティストとしての理想像と、自然体の自分、どちらも大切に生きていくというのが「damn」という楽曲で導き出した彼の生き方だと思う。

 

 この曲のタイトルでもある「damn」は「クソ」という意味もある。というかなんならMVの最後に「クソ」を踏んでいる。曲中に何度も「クソ」はリフレインするし、トイレで流そうとするし。ひねくれた解釈も多々あるこのエントリーだが、藤井風はこんなこと思うような人ではないよなぁ。

youtu.be

こんなに優しい青年です。

なのでこのエントリーは、個人的な妄想に過ぎません。以上