笑い声を足す意義。
バラエティやお笑い番組では、演者やスタッフ以外の笑い声や歓声が聞こえる。これは観覧席に座るお客さんの声だ。
生放送ではない番組だと、このお客さんの声が編集で足されていることが多い。
笑い声を足す行為には、いくつかの目的があると思われる。
例えば、
- お客さんのウケがよくなかったので足す
- 視聴者に笑いどころを伝える
- 静かな場面に音を足す
など。
僕が気になったのは、お笑い芸人が漫才やコントを披露する番組だ。
編集で笑い声が足されている場合、追加する笑いの量やトーン、タイミングのさじ加減は当然編集者の手に委ねられる。
そのため、視聴者である僕は、ある種加工済みのお笑いを見ることになるのだ。
僕が好きなお笑いコンビ、サンドウィッチマンがいる。M1グランプリ2007年王者の実力派だ。彼らのツアーライブと、番組で行った漫才と、それぞれの映像があるので見比べてみてほしい。
上が番組で披露されたもので、下がツアーライブの映像だ。
僕が違和感を覚えたのは、パソコンの電源ボタンを探すくだり。富澤の「もっと右、もっと」との声に誘導され伊達がパソコンの電源ボタンを探し、「あ~そこそこ」「いや背中かいてもらってるのか」と突っ込む。
ツアーの場合だと、伊達が「いや背中かいてもらってるのか」と言い切る前に笑いが起きはじめ、徐々に笑いの量が大きくなっていく。
一方番組の映像では、伊達がセリフを言い始めたくらいで一人の笑い声が入り、突っ込みの途中で、そのくだりの内でマックスの笑いの量になる。徐々に笑いが増えるのではなく、スイッチで切り替わったかのように笑い声がパッと増えるのだ。
これはとても細かい違和感だが、多くのライブ映像をYouTubeにアップロードしているサンドウィッチマンだからこそ、観客の生のリアクションとの差が気になったのだと思う。
贔屓の芸人がいる方なら、似たような経験をしたことがある人も多いのではないか。
「このくだり、そこまで笑うようなところじゃないんだけどなあ」と、編集で付け足された笑いの量が気になってしまうこと、ないだろうか。
これらはあくまで僕の感覚に基づいた感想に過ぎない。編集によって、視聴者に笑うポイントを分かりやすく提示することに意義はあると思う。
しかし、間や雰囲気が大切なお笑いにおいて、漫才やコントをしている当事者以外の手によって、その空間に加工がなされていることは、負の側面が見られてしまうのも確かである。